月村了衛,「機龍警察〔完全版〕」の感想

本稿は以下の小説の感想である。

月村了衛,機龍警察〔完全版〕(ハヤカワ文庫JA),早川書房,2017.

機龍警察とは

テロや民族紛争の激化に伴い発達した近接戦闘兵器〈龍機兵ドラグーン〉 を導入した警視庁特捜部は、その搭乗員として三人の傭兵と契約した。警察組織内で孤立しつつも、彼らは機構兵装による立て籠もり現場へ出動する。だが事件の背景には想像を絶する巨大な闇が広がっていた⋯⋯ 日本SF大賞&吉川英二文学新人賞受賞の〝至近未来〞警察小説シリーズ、ここに開幕! 第一作を徹底加筆した完全版。解説/千街晶之

内容紹介(裏表紙より)

 要する機構兵装と呼ばれるロボットなど、SF的要素を持ちつつも現代的である世界観での警察小説である。 警視庁特捜部、通称「機龍警察」に所属する人たちが、テロなどの事件に立ち向かう物語であり、個性的で魅力的な登場人物、警察組織内の紛争、白熱の機構兵装同士によるバトルなどがの様々な要素が混在した面白い小説だ。シリーズものであり、既刊は以下のとおりである。

  1. 機龍警察〔完全版〕
  2. 機龍警察 自爆条項〔完全版〕
  3. 機龍警察 暗黒市場
  4. 機龍警察 未亡旅団
  5. 機龍警察 火宅
  6. 機龍警察 狼眼殺手

 残念ながら私は一作目しか読んだことはない。是非読んでみたいと思っている。

魅力的な登場人物

 特捜部が持つ新型の機構兵装である龍機兵の搭乗要員として三人の傭兵と契約した、という点が機龍警察の魅力だ。 以下に三人の傭兵を紹介しよう。

  • 姿俊之

 無精髭の残り、白髪の一流軍事傭兵。プロフェッショナルとしてのプライドを持っていて、クライアントとの信用などを重視している。 普段はウィットに富んだ会話をし、飄々とし他の警察から反感を買うことも多いが、仕事に関して言えば、一番死力を注いでいる人物だ。 第一作ということもあり、物語は特捜部のみんなに注目されていて、どの登場人物も深く掘り下げられる訳ではないが、強いて言えば、第一作は姿俊之を中心として展開される。

  • ユーリ・オズノフ

 彫りの深い金髪のロシアの元刑事。モスクワの刑事「イワンの誇り高き痩せ犬」であったが、謀略により濡れ衣を着させられ裏社会を転々とした過去を持つ。特捜部、特に雇われた傭兵という警察内で特殊な立場であり、一般の警察から嫌厭されるなか、「イワンの誇り高き痩せ犬」としての矜持を捨てられずにいて、他の刑事に寄り添いたいと思いつつ自分の立場もあり葛藤している。元刑事としての捜査能力、洞察能力や刑事としての感性からときに、他の警察と協力をして、また特捜部のメンバーと対立をしている。

  • ライザ・ラードナー

 長身の美しくも不吉な雰囲気を醸し出す白人女性。アイルランド共和軍の元テロリストであり、対外的には対テロリスト専門家として通っている。個性ある搭乗要員でも随一、戦闘、暗殺能力に秀でていてテロリストのときは「死神」と呼ばれていた。過去のできことから精神的に弱っている点がある。

このように特徴的な登場人物からなる。

 機龍警察の面白い点として、登場人物による対立構造が挙げられる。 特捜部と一般の警察といった組織同士のものから、元刑事として歩み寄りたいユーリとユーリを部外者として排斥する捜査関係者、元テロリストとして人を殺め続けたライザと、過去にテロリストによって家族を失い、ライザことを納得できずにいながらライザの龍騎兵を整備する鈴石緑*1、プロフェッショナルとして矜持を持つ姿と、姿の元戦友である……、のように警察のセクショナリズムと複雑な人間関係、心理などを綿密に描いている。

 このように複雑な人間関係、組織構造の中、特捜部を纏め上げるのが特捜部長の沖津旬一郎だ。瀟洒で洒落た外見ながら、作中でも様々な人から謎深き人物として扱われていて、また実際第一作の中ではどの登場人物と比べても謎の多い人物で、只者ではない様相をしている。癖の強い特捜部のメンバーを纏め上げるのには彼しかいないのではなかろうか、といった感じがあるくらいだ。実際読んでいて、特捜部のメンバー一人ひとりも印象付けられたが、それと同じくらい、特捜部という組織そのものが印象に残った。

世界観

 先程から述べていた通り、この本はロボットものとしての側面がある。私はあまりロボットものの作品に詳しい訳ではないが、機龍警察の普通のロボットものと異なる点は、ロボットの用いられ方が極めて現代的であるという点だ。ロボットによる宇宙戦争などが行われる訳ではなく、あくまで現実の延長線上にあるような、例えば立て籠もり事件などをロボットというファンタジーで彩っている。かといってロボットもの特有の浪漫を欠いている訳ではなく、そこは龍機兵という警察の最新兵器の装備や、謎、特殊性などを鮮やかに見せることで読者の心を掻き立てるものとなっている。またロボット同士のバトルという、アニメや漫画で描かれがちな描写を、小説という媒体で見事に表現できていると思う。特に小説的な感情描写や、回想などを織り交ぜながら、スピーディーに戦闘が進んでいくのは面白いと思った。

 もう一つの世界観の特徴として、機龍警察は警察ものである、ということだ。しかし、普通の警察ものとは違う点として、前述の通り、傭兵を雇っている、などの特捜部の特殊性があることだ。普通の警察は行わないような捜査も場合によっては行われるし、傭兵だからできないこともある。また戦闘描写やロボットものにあるあるな描写なども特捜部を含む警察という組織に色彩を与えていて、ハードボイルド、サスペンスなどの雰囲気がある。警察ものであるが、個人の殺人事件などより、立て籠もり事件などのスケールが大きいものを扱うため、壮大感と緊迫感が半端ない。

 このように魅力的な世界観も本書の特徴として挙げられよう。

感想

 私は普段もとミステリー要素の強い小説を読むので機龍警察は私にとって真新しいものであり、とても楽しむことができた。個人的には、ライザ、鈴石の関係性の描写がとても面白く、印象に残った。第一作では事件の実行犯という表層しか現れず、その背後に潜む闇についてほんの少し触れるに留まった。最後の最後に潜む闇について匂わせたため次の第二作が読みたいなと思った。また第二作ではライザの過去について掘り下げられるらしいので読むのがとても楽しみだ。

*1:特捜部技術班主任

林・八杉、「不完全性定理」の感想

タイトルの通り、この記事は以下の本の感想である。

ゲーデル(著),林普,八杉満利子(解説・翻訳):ゲーデル 不完全性定理岩波文庫),岩波書店,2016.

 

本全体について

 この本は

の二部からなる。と言っても、翻訳48ページ、解説220ページと解説が大幅にある本だ。

翻訳について

 翻訳は基本的に元々の論文に忠実な記号法であり、現代的なものとは異なる。例えば量化子の\forall x\exists xなどではなく、Principia Mathematica*2的な(x)(Ex)などが用いられている*3。また用語法も現代的ではなく、訳者による注釈によって説明はされているが、私は数理論理学や不完全性定理をまだ学んだことのない人には、この和訳を読んで学ぶことをお薦めし兼ねる。また現代的に精緻化された証明ではないため、そういうものを求めている人が読むべきでもないと思う。例えば第一不完全性定理ロビンソン算術\mathsf{Q}ではなくPrincipia Mathematicaの体系をゲーデルが簡略化したものについて証明されている。また第二不完全性定理についてはゲーデルは証明の概略を述べることしか行っていない*4。また無矛盾性を表す文も「0=1は証明可能でない」という形ではなく「証明不能な文が存在する」という形で述べられている*5。こういう点からゲーデルの論文で(あるいはその和訳で)初めて不完全性定理を学ぶということはお薦めできない。

 しかし、ある程度、数理論理学を学んだことのある人にとっては得られる知見、表現は多いのではないかと思う。翻訳に酷いところは全くなく、またゲーデルの論文の独特な強調の仕方も分かりやすく説明されている。また省略されがちな論理式の符号化に関してもゲーデルはしっかりと行っているし、文献の情報も豊富であるからだ。また歴史的にどのように不完全性定理が証明されたのか、などにはこの本は一見の価値があると思う。

解説について

 解説は以下のような構造を成している。

  • 導入部(第一章)
  • 歴史部(第二章から第五章)
  • 検証部(第六章から第八章)

この導入部では不完全性定理よくある誤解について、歴史部では不完全性定理までに渡る数学基礎論の歴史について、検証部では不完全性定理のその後と、ゲーデルの論文の定理や構造について述べている。

 この本の凄いところは歴史部にあると思う。私は数学基礎論の歴史について、数理論理学の本の前書きやコラムで述べられていた断片的知識しか持っていなかったが、この本はその断片的な知識を一つに纏め上げてくれたと思う。例えば、論理主義、直観主義形式主義の対立などは、よく話されている内容だと思うが、それがどのような時系列で、誰が、どのような場で、といった状況を私は知らなかったが、そのことについてしっかりと述べていることがとても良い。

 この本の歴史部は主にヒルベルトに目が向けられていて、ヒルベルト数学基礎論の歴史から、ゲーデル不完全性定理までの歴史が緻密に描かれている。ゲーデル自身の経歴などにはあまり述べられていないとこの本が批判されることがあるらしいが、不完全性定理の意義をするためにはゲーデル史ではなく、当時の基礎論の流れにいたヒルベルトを中心として解説をするのには納得するだろう。

 検証部の初めではゲーデル不完全性定理のその後について述べられているが、その後の発展の具体例などは、知っている人が見れば分かるが、何も知らない初学者が見て分かるだろうか、と疑問を持つところもいくつかあった。またそれに関して具体的な文献も示されていなくて不親切かなと思いもした。

 検証部の残りでは、ゲーデルがどのようにして、不完全性定理を思いついたのか、ということに対する考察がなされており、とても参考になり、また不完全性定理の帰結は歴史的に妥当なものであるということが分かった。

終わりに

 結論として、初学者にとってゲーデルの論文で不完全性定理を学ぶのにはお薦めできないことと歴史的なことを知るためにはこの本はとても良い。またこの本は岩波文庫から出版された、つまり文庫本なのである。一般的な数学書が2000~10000円するのに対し、800円+税で買えるので十分手に取って読める値段であることが(個人的に)良かった。

 またこの本を読むに渡って、あるいはこの本の補足として、渕野先生によるこの本の書評*6と林先生本人による正誤表*7がとても参考になった。並行して読むと面白いだろう。

*1:Gödel, Kurt. "Über formal unentscheidbare Sätze der Principia Mathematica und verwandter Systeme I." Monatshefte für mathematik und physik 38.1 (1931): 173-198.

*2:Whitehead, Alfred North, and Bertrand Russell. Principia mathematica. Vol. 1, 2, 3. University Press, 1912.

*3:そもそも\forallGentzen, Gerhard. "Untersuchungen über das logische Schließen. I." Mathematische zeitschrift 39.1 (1935): 176-210.によって導入されたため、ゲーデルが論文を出したときにはまだ存在しなかったわけであるが。

*4:完全な証明はによってHilbert, David, and Paul Bernays. "Grundlagen der Mathematik I, II." (1974).で初めて与えられた。

*5:そして面白いことに、ゲーデルによる無矛盾性を表す文はヒルベルト・ベルナイスの導出可能条件やレープの導出可能条件を満たす証明可能性述語で「無矛盾性を証明できない」ということを証明できないことが知られている。Kurahashi, Taishi. "A note on derivability conditions." arXiv preprint arXiv:1902.00895 (2019).

*6:渕野昌. "[[[不完全性定理に挑む] に挑む] に挑む], ゲーデル (著), 林晋, 八杉満利子 (解説, 翻訳), ゲーデル 不完全性定理/田中一之 (著), ゲーデルに挑む 証明不可能なことの証明 書評." 科学基礎論研究 41.1 (2013): 63-80.

*7:http://www.shayashi.jp/correction-jp.html